細谷健一父親は細谷勇氏「姉と同じ”2018年没”」死因が気になる!

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次女殺害容疑で逮捕された細谷健一容疑者の父親は細谷勇さんという方で、浅草の小さな革加工業から一代で、ホテルやマンション経営に携わる「ホソヤ産業」を立ち上げた人物です。

一体どんな経歴をお持ちなのか気になりますよね?またお父さんは死因が不審とされているお姉さんと同じ年に亡くなっていますが、死因は自然死や病死など特定されたのでしょうか?

本記事では細谷健一容疑者の父親「細谷勇」さんの経歴や人となり、また亡くなった経緯について調査しました。

目次

細谷健一父親は「細谷勇氏」は千葉県東金市出身

父親の細野勇さんは、浅草で革工業(いわゆる革をなめす)を営んでいましたが、もともと浅草の地元の人ではありません。千葉県東金(とうがね)市の出身で、若いころ就職のために上京して東京・浅草の地場産業である皮革加工の会社に就職しています。

勇さんは現在87歳になるお兄さんがいて、今も千葉県に健在だということです。お兄さんが語るには、勇さんは負けず嫌いの努力家だったということです。

細谷勇氏「ホソヤ産業株式会社」創業。革加工業から不動産業へ

マンションにある看板

細谷勇さんが創業した「ホソヤ産業株式会社」は当初、小さな革のハギレなどを販売していたようです。

その後、勇さんはホテルやマンション経営など不動産業に手を広げます。

2012年浅草に東京スカイツリーが建設建設されることになると、勇さんはインバウンド(訪日客)需要を見込んで隅田川にかかる駒形橋近くに「浅草ホテル旅籠」をオープンさせます。先見の明もさることながら、資金力もあったんですね。>>「浅草ホテル旅籠」についてはこちらの記事をご覧ください

しかも何のコネもなく地方から出向き、小さな革加工業から東京の一等地にマンションまで所有する企業まで発展させるとはかなりのやり手といえます。

その後革加工業は廃業されています。息子の健一容疑者が技術を継承しなかったのか、革加工業に見切りをつけたのかはハッキリとしませんが、「ホソヤ産業」を発展させる思いは強かったといいます。

「Iにしてみれば、ケン坊(健一)は大切な跡取り息子だったのよ。それこそIは、田舎の東金から一人出ていって、浅草のなめし革の会社に入って独立、起業までしたわけだから、かなりの負けず嫌いだった。自分が作った会社を後世に残したいという思いも人一倍強かったんだろう。(※注文中の「I」は勇さん)

引用元:集英社オンライン

健一容疑者も結婚後に千葉県流山市に転居しています。流山市から東金市までは車で高速を使っても1時間くらいの距離です。

地図

父親細谷勇氏は息子健一を溺愛

勇さんは『女の子はいらない』というほど男の子を欲しがっていたそうです。

昔の人にありがちな”跡取りは男の子”という固定観念があったようですね。健一容疑者の上には二人のお姉さんがいますが、立て続けに女の子が二人誕生し、その落胆ぶりや健一容疑者が誕生した時の喜ぶさまが目に浮かぶようです。

そうして生まれたケン坊には、相当お金をかけて手塩にかけて育てていたからね。自分が敷いたレールに乗せようと、学校もすべて私立に進ませていたくらいだから、ケン坊が大学卒業後、すぐに会社を手伝わなかったときは腹を立てていたよ。(前出のお兄さん談)

引用元:集英社オンライン

上のお姉さん2人は公立の学校に通わせ、健一容疑者だけは私立の付属校の幼稚園、小中高に通わせたといいます。

ふだん着ている服も襟つきのシャツにベストみたいな感じでお姉ちゃんより明らかに仕立てがよくて、いかにも“お坊ちゃん”といった感じの子でしたね。

私は亡くなったケンちゃんのお母さん、Yさんと仲良しで、月に2~3回ほど遊びに行ってたんですけど、小さいころのケンちゃんは礼儀正しい子という印象しかなくて…。
家にお邪魔したときには、まだ3歳とか4歳なのに、『よくいらっしゃいました』とか『お気をつけてお帰りください』なんて大人顔負けの対応をしたものですよ。まるで大人が子どものフリをしてるみたいで少し怖くなったくらいでした。
(勇さんの兄嫁談)

引用元:集英社オンライン

どこかでいびつになった子育てがあったのかも知れません。健一容疑者は大学を卒業するとお父さんに反抗的になっていったといいます。

大学卒業後は家を離れて電気店や婦人靴の販売員になったり、職を転々としながらも志保容疑者の勤める夜の店の太客だったといいます。

太客(ふときゃく)とは水商売の世界において、お店で大金を使う太っ腹な客を指します。

健一容疑者の両親は金銭面で援助していたのかも知れませんね。何不自由ない生活を送ってきた健一容疑者はネットでは「金正男」と揶揄されています。

細谷勇氏は息子健一の結婚に反対だった

健一容疑者と志保容疑者は2009年に結婚しています。志保容疑者の仕事が水商売でしかも体を密着するような接客業の店だったと聞いて、勇さんは激怒したといいます。

勇さんの健一容疑者への力の入れようからすると当然のことでしょう。お母さんは『自分たちが一緒になりたいって思ったなら仕方ない』と理解を示していたようです。

それでも勇さんは健一容疑者にホテルの支配人を任せています。事業資金を巡りトラブルになったこともあり、一時ホテル業を離れたものの、長男と長女の誕生をきっかけに、勇さんは健一容疑者を「後継ぎにしたい」と呼び戻しています。>>健一容疑者が支配人を任されたホテルはこちらの記事に書いています


一応は家業を継ぐみたいな形にはなったみたいだけど、Iからすれば納得できない部分も大きかったんじゃないかな。だから結婚してからも『あいつは期待はずれだったわ』と愚痴をこぼしていたね。ケン坊にはそれだけ期待していたからショックが大きかったんだろう

引用元:集英社オンライン

落胆しつつも健一容疑者への期待を寄せる、父親としての勇さんの思いに胸が詰まります。

しかしながら、結婚後の志保容疑者は家事はおろか、子育ても満足にできないおよそ一家の主婦には向かない人格でした。

ふだんは家でゴロゴロしてるだけで、洗濯も炊事も掃除もまったくやらない。だからケンちゃんが子どもを幼稚園に連れていくしかなくて、ご飯も食べさせないといけないしで大変だって聞いてました。それこそYさんが手伝いに行くことも多かったそうで、奥さんとの関係もよくなかったみたい。
(※注 Yさんは健一容疑者の母親)

引用元:集英社オンライン

また志保容疑者は精神的にも不安定で激高しやすい性格で、子供たちも前でも凄まじい夫婦喧嘩を繰り広げるため”心理的虐待”があるとして、児童相談所から「要支援家庭」に認定されていました。

2016年に健一家族は東京に戻ってきたわけですが、そのわずか2年後に勇さん夫妻、次女であるお姉さんが相次いで亡くなっています。

細谷勇氏夫妻、姉、ともに2018年に逝去

報道によると細谷健一容疑者のお姉さんは2018年に亡くなりましたが、当初から不審死が疑われ、保存していた遺体の一部からは美輝ちゃんと同じ薬物の成分が検出されています。

このことにより、お姉さんの死因にも健一・志保夫妻の関与が疑われていますが、お姉さんの亡くなった2018年には1月に勇さんの妻、4月にお姉さん、6月に勇さんが相次いで亡くなっています。

そして志保容疑者は7月に「ホソヤ産業」の取締役に就任しているのです。

勇さん夫妻の死に疑問が持たれることはなかったのでしょうか?普通病院で死去したり、自宅で看取り中以外は警察による死因の特定がなされると思います。今のところ勇さん夫妻の死因に疑問が持たれたり、病死であったなどという報道はなされていません。警察も慎重な捜査をしているものと思われます。

志保容疑者は結婚当初は初々しく、親族からも好印象だったといいます。勇さんの葬儀の際も赤ちゃんを抱いて甲斐甲斐しく振る舞っていたと言います。この赤ちゃんが美輝ちゃんでしょうか?4年後にはもうこの世にいないなど、誰も想像もしなかったでしょう。

事件の解明が待たれます。



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